ダンナの支え
心配事の尽きない日々。
わたしの止まらない悩み事相談に、いつもじっと耳を傾けていてくれたのはダンナさんだ。
彼はいつでも、わたしの味方だった。
君のしたいようにすればいいよ。
世の中には君の気持ちが伝わらない人もいる。
いつも他人のことを一生懸命考えてるから、それで間違ってないと思うよ。
最後には、いつもこう諭してくれた。
夜はそれで何とか気持ちが落ち着いて、目を瞑ることができた。
それでもたまに、ダンナさんに根拠のない疑いをかけた。職場で知り合った女性とLINE交換をしたらしいが、その受信が気になったことを素直に伝えられない。すると思考はおかしな方へシフトする。
わたしはいつも彼に迷惑ばかりかけている。
うつだのどうだの言って、毎日家にいて、ろくに働きもしない。こんな女に何の魅力もない。他の女性と一緒になった方が幸せなんじゃないだろうか。捨てられても当然だ。その時がきたのだ。
そう、被害妄想。
これはかなり厄介だった。
ある暑い夏の夜、扇風機の首振り角度をあっちに向けるやらこっちに向けるやらいう意見のくい違いが夫婦で生じた。
ここからもわたしの思考はおかしな方向へ向かえる。
扇風機の角度について、ダンナさんにあんなにキツく言っちゃった。(実際ダンナさんは、何も気にせず先に寝ていた。)なんでわたしはあんなことを言ったんだろう。きっと傷つけてしまった。わたしにそんなこという権利ないのに。こんなわたしは、ここにいていいんだろうか。きっと良くない。きっと彼はわたしのことにすごく腹を立てている。
もぅ一度言うが、彼は何ら気にすることなく扇風機にあたりながら床についている。
しかしわたしは、玄関のドアをあけてパジャマにスリッパで出かける。
夜中に暗いところを遠くまであるいて、ある公園にたどり着いた。
気づいたら、滑り台のてっぺんで足元に小さな水たまりができるほど泣いていた。
もぅ泣いてる理由とかはわからない。
生きてる理由がわからない。
そんな状態だった。
唯一手に持ってた携帯がなり、確認するとダンナさんからの着信だった。
ふと我にかえり、電話にでる。
『どこにいるの!』と荒い口調で叱られた。
わたしのいる場所まで迎えにきてくれた彼は、わたしが何故そのようなことをしたのかという話題には触れず、一緒に家まで連れて帰ってくれた。責められないことで、またじぶんを責めることも多かったが、この日はごめんなさいとありがとうの気持ちになったから今でも覚えている。
じぶんの気持ちや行動のコントロールができなかった時期だったと思う。
あの時のわたしって、どうだった?とダンナさんに質問してみた。
↓
いつも、暗い部屋にわたし一人だけいるみたい。誰に助けを求めたらいいのかわからないし、怖いって言ってたかな。奨学金も返さないといけないし、仕事に戻りたいけど、あの職場には戻りたくない。そう話してた。
わたしは、在学中に就職を約束した病院から全学費を出していただく代わりに、最低5年程度の勤務をするという契約をしていた。
そのおかげで看護師・助産師になるための学費を親に一切負担させることなく取得することができた。
助産師をやめたい気持ちも出てきていたが、そのためにはまとまった金額を病院に返済する必要があった。
もちろん約束だから当たり前。
でも、それよりも最後まで勤め上げられないかもしれない自分の責任感の無さにがっかりしていた。
ダンナは、早くからやめたかったらやめればいいよと言ってくれていた。
でも、わたしが許せなかったのだ。
他のスタッフは復帰するわたしを待っているのに、そんな中途半端なことをして良いのかと、罪悪感でいっぱいだった。