明日、助産師やめたい。

助産師やめたら、わたしの人生が動き出した。毎日の雑記。

更年期の親子関係

 

わたしは結婚する26歳までずっと両親と生活をしていた。

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妹が学生のときから、母をしょっちゅう心配させていた。親はいつでも子を想うものだが、自由奔放な性格だったので、母がキャパオーバーとなり錯乱することも多々あった。

 そんな母の姿をわたしはいつもそばで見ていた。

 

母が、わたしのせいであの子はあんな風に不良になったと自分自身を責めたり、もぅ死にたいと命を絶とうとしたのを必死で止めたこともある。妹への心配は、彼女が成人した以降も変わらず、母の人生のテーマごとく、常に頭を悩ませていた。

 

夫婦喧嘩も多く、いつしかわたしは父と母、そして母と妹の仲介をして家族がうまく回るようにとり回らなければと責任を感じていた。

誰に頼まれた訳でもないのに。

 

わたしが体調を崩してからは、母がそれを気にかけてくれているのは伝わっていたが、母の気分の浮き沈みは激しく、わたしの体調が芳しくなくても、理不尽なことを言ってくることがあった。

 

『なぜ、お父さんにお母さんのお小遣いをあげてって言ってくれないの?』

『前にあんたは、わたしの老後を見る気はないって言ったよね?あんなこと言われると思わなかった。悲しくてしょうがない。』

 

一つ目の発言の説明を詳しくするつもりはないが、うちは自営業をしていて、父は母に娯楽を楽しむには少ない金額だけを毎月渡して働かせていた。確かにそのやり方には疑問もあったが、なぜそのようなやり方になったかは父から理由を聞いていた。

それは子であるわたしが、解決しなければはらない問題だったろうか。

今ではそうでないとわかるが、当時のわたしはどうすればみんなにとって良いのかとまた深く考えこんだ。

 

二つ目の発言は、完全なる母の勘違いだ。

うちは二人姉妹だし、いつかは父と母を姉妹でしっかりと見届けなければならない日は必ずくると考えていた。少なくとも看護師、助産師としてそのような立場の家族は多く見てきたし、イメージはもてる。

どこからどうなって、母のような解釈になったのかわからなかった。

しかし当時は、母を傷つけてしまったという気持ちでじぶんを責めた。

 

今振り返ると、当時母は更年期の真っ盛り。

先ほどのような発言は更年期独特の症状だったのではないかと思う。わたしが結婚して独立していった孤独感や、じぶんの親の介護への不安。そして何よりじぶん自身の女性としてのからだの変化。あらゆるものに対応しきれず、結果わたしにそれらをぶつけるしかなかったのかなと思う。

しかし、その時はわたしも自分の精神保つのでいっぱいいっぱいの時期。

仕事がしんどい上に、家族との関係のバランスが壊れ、さら悩みごとが増えたわたしは、かなりふさぎ込んだ。