明日、助産師やめたい。

助産師やめたら、わたしの人生が動き出した。毎日の雑記。

友達がいない。

 

悩みだしたらトコトン!なわたしは

 

 

【友達とはなんぞや】

というテーマを深めることにしました。

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まず、わたしの持つ"友達"イメージ

 

・友達は、悩みがある時の相談相手

・友達は傷つけてはいけない

・友達は多い方がいい

・友達の多い人はみんなに好かれている

 

 

そして、わたしの"友達"の実際

・じぶんから友達を誘うことはない

・傷つけるようなことは言いたくないし、言われたくない

・友達と会うと疲れる

 

 

あれ?ちょっと待てください。

わたしの持つ友達のイメージと、実際が完全に矛盾してます。

 

 

わたしが日頃会う友達といえば、

たいがい一人で解決できない悩みをわたしの前で暴露し、別れ際には

😀「たくさん聞いてくれてありがとう。すっきりしたわ。」と言って去ります。

 

 

 

🙎(すっきりしたみたいで、よかったな。)

とちょっと良いことをした気分になるけど、

実際のところ、わたしはどっと疲れます。

 

 

外食にお金使って、まる一日潰して、じぶんは何の満足感もないのです。

 

 

一体何のための時間でしょうか。

 

 

そう、他人のためです。

今までこうやって、他人のための時間を生きてきました。

そうすれば、みんなに信用されて、ありがたがられて、友達の多い、良い人になれると思っていたからです。

 

 

でも、実際はどうでしょう。

じぶんから、何か相談できる友達もいなけりゃ、深い信頼関係もない。

 

 

そうやって出来上がったわたしは、

当たり障りのない

呼んだらすぐ駆けつけてくれる

話をきいてくれる

ただのいい人です。。

 

 

はぁ。。。

もぅ、こんなのは嫌です。

 

 

それだったら、友達はいなくてもいい。

 

そう考えました。

 

 

 わたしはもうすぐ30才ですが、友達が一人もいません。

それで結構です。

 

 

 

そう簡単にわたしと友達になれると思うなよ。

辛い時に話聞いてくれたからって、友達と思うなよ!

Facebookでいいねくれたからって、友達と思うなよ!

ムカついたら、ムカつくと言うぞ!

上から目線でいったるわい。

 

 

わたしにだって、嫌いな人はいます。

今まで、言わなかっただけです。

だって嫌われるの怖かったんです。

 

 

でも、その考え方がダメだったんでしょう。

気づいたんです。

 

 

そもそも、みんなに好かれるのなんて無理です。

 

 

どんなに美味しいイチゴだって、世界にはどうにもこうにも食べられないって人がいるんです。

それを無理に食べる必要がないでしょう。

嫌いなもんは嫌いなんですよ。

 

 

「わたしは、このイチゴは嫌いです。」と言うことは、イチゴを傷つける行為ではありません。

それはひとつの意見です。

それをイチゴがどう受け取るかは、イチゴの問題です!

(例をイチゴにしたから、説得力がない…)

 

 

意見を伝えなければ、伝わらないし

何も始まりません。

 

 

人間関係もそうです。

だから、必要であれば

嫌いなもんは嫌いと言いえばいいのです。

そして、嫌われればいいのです。

 

 

とはいえ、今までとは真逆の生き方ですから

すごく勇気がいりますよ。

でもわたし、変わりたいので努力します。

絶対に変わってやる!