明日、助産師やめたい。

助産師やめたら、わたしの人生が動き出した。毎日の雑記。

人と喋る必要ある?

 

 

ある先輩スタッフがこう言いました。

 

 

「時々人と話す必要ってあるのかな?って思っちゃう時がある。」

 

 

🤷‍♀️(せ、先輩大丈夫ですか?)

と一瞬心の中で心配しましたが

 

 

実は、それはわたしも常々感じていました。

 

 

 

特に、わたしたち助産師は若年の性の問題を

当事者とともに共有させていただく機会が一般の方よりも多いので

 

 

時には、性の大切さを伝えたいという思いから、

 

 

言いにくいことも、勇気を出して発言することもあります。

 

 

繊細な話だとわかっているからこそ

この線を越えていいのか

どこまで待っていていいのか

どこから手を差し伸べるべきか

悩みに悩みながら向き合える方法を探します。

 

 

しかし、当事者がそれに耐えられずそっぽを向いてしまうこともあります。

 

 

正直いうと、

こちらとしても前向きでない反応が返ってきた時は心が折れるし、疲れる。

 

 

そんなことが繰り返しあると

無力も感じるし

 

 

そもそも人と話すってなんだ?

って考えてしまったりします。

 

 

じぶんの価値観を押し付けてはいけない

傷つけてはいけない

そんな思いが強くなりすぎるから

こんな気持ちになるのでしょうか。

コミュニケーションて難しいですね。

 

 

 

…と思っていたら

 

 

久しぶりにつけたTVで

コミュニケーション研究をしてるとやらの

あるおじさんがこう言いました。

 

 

「コミュニケーションはわからないから生まれた」

 

 

🙍‍♀️(は、はぁ…)TVに釘付け📺

 

 

おじさん「わからないから、コミュニケーションするんですよ。知るためにコミュニケーションするんです。根底には、わからないが常にある。」

 

 

🙆‍♀️(な、なるほど‼︎‼︎‼︎)

 

 

その通りです。

わからないし、知らないから話すんですよね。

 

 

どうしても、

こちらの思いが伝わらなかったのは何か足りなかったのかとか、

どうしたら伝わるかとかそっちの方ばかりに目がいってしまいがちですが

 

 

そもそも、

わたしはあなたのことがわからない

あなたもわたしのことがわからない

これからどうしたらいいかもわからない

 

 

これを理解しておくと

コミュニケーションってもっとスムーズになるんじゃないの?

そう思いました。

 

 

 

例えば、

何かの待合室で知らない人と二人きりになったとき

 

 

🤦‍♀️(え、なんか喋ったほうがえぇんかな?)

とか思って

 

 

結局、喋りかけたけどうまくいかなくって

その空気に疲れたっていう経験があります。

 

 

 

これを【わからないからコミュニケーションする】の考え方からすると

 

 

もちろん、その知らない人のことは

わたしは何一つわからないし

 

 

かろうじてわかるのは、

ヒゲ生えてるなとか、スカート履いてるなとか見た目だけ。

 

 

じゃぁ、このわからない人に

わたしから何か聞いてみようかなと思うんだったら声かければいいし

 

 

興味ないなら放っとけばいい。

 

 

もしくは、一言二言交わしてみて

感じいいじゃんって思えば

それ以上喋ったらいい。

 

 

そうしたら

 

 

🤷‍♀️(はー、空気わるっ…疲れたっ。)

って感じずに済むんじゃないの?

 

 

それから例えば

誰かに何かキツく言われても、

あなたに全てはわからないよね

という前提で

言われたことを真摯に受け止めれば

 

 

なんであんなこと言われたんだろう

わたしのこと嫌いなのかな

信用されてないな

 

 

という偏った考え方にはならないはず。

 

 

めっちゃえぇことを知った。

今日も良い日だ。

 

 

TVのおじさん、ありがとう!

それでやってみる!