奪われるという意識
わたしたちのいのちは有限です。
だから、一瞬一瞬をどう生きるか
真剣に考える必要があるのでしょう。
わたしの大切な時間(いのち)をどう消費していくかは、わたしが決めることです。
人生には、その決定をするための選択が無数にあります。
例えば、あなたが友人への誕生日プレゼントを自宅でインターネットを使って検索していたとします。
そこに、久しく会っていない別の友人からランチの誘いがありました。ちょうど近くまで来ているから、今からどう?という誘いです。
みなさんはどう考えますか。
ランチに行くか行かないか
と考える人
あー、プレゼント考えてたのに邪魔が入った
と思う人
そもそもこの友人とランチにいく必要があるのか
と疑問を持つ人
いろんな考えがあると思いますが
人生は選択の連続で、
その一瞬一瞬が未来のじぶんを作り続けています。
未来を豊かにしたいなら
わたしがどうしたいか
に真剣に向き合って
よく考えて
最良と思うものを選択する
この基本姿勢がとっても大事なんだと思います。
そうでないと
じぶんの大切ないのちをどこまでも際限なく奪われてしまいます。
そして、あっという間に人生が終わっちゃうんじゃないかと思います。
かつてのわたしは、友人とランチに行き
帰宅すると、どっと疲れてしまう人でした。
ひどい時には翌日まで疲れを引きずるほど。
別に暗い話をしたわけでもないし、嫌なことを言われたわけでもない。
なんでこんな疲れるのか?
と常に思っていました。
なのに、誘われたらまたひょいひょい出向いてました。
🙍♀️わたしみたいな人間とランチしたいって言ってくれる人がいるなら、行かなくちゃ。
↑
こんな具合でした。
どんなポジティブな話題で盛り上がったとしても、それは実はわたしにとっては興味のない、ただのポジティブな話に過ぎませんでした。
それは、じぶんの時間を他人に大安売りしていただけです。
誰もその優しい大安売りに気づいてはいません。
ですから、相手はわたしの時間を奪ったという認識は全くないでしょう。
これを続けているとわたしみたいに
何のために生きてるんだっけ人間になります。
じゃあ、楽しく生きていきたいならどうすればいいか。
単純明快
🙆♀️「他人の時間を奪ったらえぇんや!」