明日、助産師やめたい。

助産師やめたら、わたしの人生が動き出した。毎日の雑記。

お好み焼き屋

 

うちの実家は

 

 

お好み焼き屋です。

 

 

わたしが学生のころ

 

 

父が交通事故で怪我をしました。

 

 

父は入院し、

今までしていた力仕事ができなくなりました。

 

 

退院後も、思うように健康を取り戻すことができず

 

 

家族みんながとてもつらい時期がありました。

 

 

これからどうしようか…

 

 

きっと両親は、わたしと妹の将来を含めて

そうとう悩んだと思います。

 

 

山あり谷ありあった末に

これまでの仕事は辞めて

 

 

実家を改装して

お好み焼き屋をすることになりました。

 

 

当時わたしは高校生で

 

 

飲食のバイトをした経験はなかったのですが

 

 

近所にビラ配りをして

 

 

初めて迎えるお客さんに

 

 

ど緊張の中、

お好み焼きを運んでいたのを覚えています。

 

 

アルバイトとして気がきかずに、

 

 

「取り皿ください😡」といわれ

お客さんを悪い気持ちにさせたこともありました。

 

 

そんなこんなで、乗り越えた日々。

 

 

いまわたしは、30歳になったわけですが

 

 

変わらず両親は店を続けています。

 

 

わたしが学生の間は

アルバイトの一人として

賃金をもらっていました。

 

 

しかし

仕事中は

家族だからムカっときたり

家族だから甘えたりしていたことも

 

 

今ではあったなぁと思います。

 

 

じぶんが社会人として医療現場で働くことになってからは、

 

 

ほぼ店を手伝うこともなくなったのですが

 

 

ここ最近

なんだか父母を見る目が変わりました。

 

 

わたしは、誰かに雇われておしごとをしたことしかありません。

 

 

何かじぶんの手で、お金を稼げたらなぁ…

 

 

なんて思うこともあるのですが

 

 

実際やってみるとなると

 

 

当たり前ですが

それは相当な覚悟のいることだと思います。

 

 

わたしの両親も、お好み焼き屋をオープンするまでに飲食のしごとの経験は皆無でした。

 

 

あの年齢で、学生ふたりの子どもを抱えて

からだもしんどいのに

店のオープンに踏み切った両親。

 

 

これってすごいことだなぁ…と。

 

 

わたしはそういう両親の努力に支えられて

大きくなったんだなぁと感謝の気持ちがこみ上げてきます。

 

 

30歳過ぎたら、こんな風なこと

感じるもんなんでしょうか。

 

 

いや、むしろ遅すぎ?

 

 

なんなのかわかりませんが

やっとそんな大事なことが見えてきた今日この頃です。

 

 

わたしの祖父母も歳をとってきたため

両親も店を経営しながら、介護をする時間が増えてきました。

 

 

そんな姿を見て、

わたしもいつかはそういう時間を大切にしなければならない時がくるんだと

思うのでした。

 

 

時間を大切に過ごさなければ

なりませんね。

 

 

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